浪江町の大堀相馬焼は長閑な田園地帯であったが、
相馬市の相馬駒焼は市街地の中ににあった。 一見、窯元とは思えないような店構えである。 辛うじて「相馬駒焼」の木の看板でそれと分かる。 店内は明るく、やさしい色の器がきれいに陳列されていた。
登り窯を見せて欲しいとお願いすると、窯主の田代清治右衛門氏が
快く案内して下さった。
東北地方随一の歴史ある窯も現在は5年に一度くらい、
窯の保全のために焚くだけとのこと。 周囲に人家が沢山出来てしまっては仕方の無いことだろう。
田代氏は人間国宝である加藤卓男氏に師事されたそうで、
風貌も加藤氏に似ているようだった。
相馬駒焼は相馬藩の御用窯で、明治時代以前には
一般に販売されることを禁止されていた。
砂交じりの粘土を用い、欅の皮の灰を用いた釉薬で焼かれた、ひび焼や
他の薄卵黄色の器は、どれも品があってなかなかのものであった。
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相馬焼看板 |
登り窯と田代清冶右衛門氏 この登り窯は元禄時代以前に築かれ 東北随一の歴史を持つ |
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清冶右衛門氏に作業場を案内していただく |
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田代氏ご夫妻 |
駒絵が描かれた壷 柔らかな卵色の地に 駒絵がいきいきと描かれている |
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